そらまめ日記

遠い日の記憶~家族の会話~ひとりごと~
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純文学の私的定義

寮にいる息子から、時々本の購入を頼まれます。
ネットで購入した私のお気に入り本、頼まれた本と一緒に、息子の寮に送ってしまいました。
もし、気が向いたら読んでみて…と言って。

堀江敏幸「河岸忘日抄」

今回帰宅するなり、「紗がかかった油絵みたいな文章で、すごく面白かった。
なんだかすごく純文学が読みたくなったから、お薦め本紹介して!」と息子に言われました。

ほぉ…読んだんだ…。

私の純文学歴は中学時代でほぼ終了しているので、さてはて、何をご紹介申し上げればいいものやら…。これを機に少し文学三昧して欲しいという欲もあり、私の紹介した1冊で嫌いになられても困るしなぁ…と、遠い目で記憶の糸をたぐり寄せてみる…。

芥川の「或阿呆の一生」はどうだった?太宰の「人間失格」は?、暗めがいい?それとも純愛もの?…と、矢継ぎ早に質問して彼の好みを把握しようと試みたものの、なんか反応が今ひとつ…(^_^; 「純文学が読みたい気分だから、今ならどんな本でも大丈夫」と妙なお墨付きを頂き、じゃぁ、私が残してきた本がごろごろ転がっている実家に行って、自分で手にとって読んでみて!ということに相成りました。

…ってところで、純文学って何?という素朴な疑問が湧いてきたぞ…。Wikipediaによると、「大衆小説、あるいは小説一般に対して、商業性よりも「芸術性」・「形式」に重きを置いていると見られる小説の総称」だとか…。わかったようなわからないような…。そこに列記されていた1960年代以降の小説は、私にとって純文学って感じられるものがあまり無い…。自分と同じ時代を生きてる文学に対して純文学と言うのに抵抗があるのかな…。

でも、堀江さんの本を読んで、私も息子も、同じように(純)文学を読みたくなったということは、“時代”意外に純文学を意識させる決定的な何かがあるんじゃない…?

で、息子に、「“純文学”を定義するものってなんだと思う?」と聞いたところ、「その作品の中に“哲学”があるか否か…。読むことによって読者を思考させることができるかどうか。それができない小説はライトノベル」と即答。ふむ…fully agree…。

「文学って、読者の人生を180度変えうる力を持ってるものだと思う。文章を貫く信念の深さが純文学とライトノベルを分ける基準なんじゃないかな…。ライトノベルは、そこを避けても書けるから…。」
へぇ…、文学読んでない割には、結構言いますねぇ…君。

色々話しているうちに、更にわからなくなって来ちゃいました…。
まぁ、定義はいいから、まず本読んでみようかね~…(^_^;

(でもね、彼の定義に従うと、今の小説で100年後も(純)文学として読み継がれていくものって、どれくらいあるのかなぁ…?それとも、100年後は、今のライトノベルも純文学扱いになっていたりして!?…あなおそろしや…)

あ、わかった…、私の(純)文学の定義は、「日本語の重さ」!
そこに書かれている言葉・文章が日本語としての重みを持ち、その重みの中に心を震わせるものが感じられたら(純)文学、そうでなければただの小説。だから、どの小説を純文学と呼ぶかについては、人によって違う…ってこと。

あ~、なんかちょっと、すっきりしたかな…(^-^)

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