そらまめ日記

遠い日の記憶~家族の会話~ひとりごと~
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「命の認識」展

命の認識

「苦悩の部屋へようこそ」というタイトルで始まる挑発的な展覧会の趣旨説明文を読んだら、これは行かねば!と血が騒ぎ(?)東京大学総合研究博物館の「命の認識」展に行ってきました。

縄文人や弥生人等、各時代の頭蓋骨、ただひたすらホネ・ほね・骨な部屋、死産で生まれた象の赤ちゃんのホルマリン漬け…。今考えてみたら展示されているもの全てが“死”に繋がるものばかりだったのですが、それらに直面していた時は何故か死を思わず“生”を考えていた私…。彼らが生きていた時代、生きていたフィールド、生きていた形、生きていた時の気持ち、etc.…。

骨という、生きていたものの“形骸”を見続けて生を思い、そこを離れて初めて、あれは死そのものだったと気付くというのは我ながら面白いものだと思いました。展示全てが「死」であったにも関わらず、気持ち悪いとか怖いという気持ちは不思議とありませんでした。この気持ちは何と言ったらいいのでしょうか?…畏敬の念? かつて生きていた仲間への郷愁? いずれこの列に連なる“形骸”を内に持つ生身の自分を感じたから? 色々浮かびますが、言葉は後付けに過ぎないのかもしれません。

「私の骨はどの辺りに配置されることになるんでしょうねぇ?」と呟いたら、会場案内の方に小さく笑われました。

今生きて食べて話をしている私達もいずれ骨になり、遠い未来から見たらその骨も形を変え違う生きものになっていく進化の過程に過ぎないということ。つまり、私もそこのキリンも猪も皆同じ。

それにしても、ヒトが存在できるのは100年に満たないというのに、どうして骨だけこんなに長く残るんでしょう?何か意味が隠されているのでしょうか?う~ん、また頭の中が???と!!!で一杯になってきた!

展覧会を監修した遠藤秀紀先生の本を読んでみることにいたします…(^_^;

Comment

おかよ says... ""
いつもながらそらまめさん。。。。深いですね。

ホスピスなど人の終末医療にかかわるお話を読んだ時も、「生きる」ということについて一生懸命考えている自分に気がつきます。
そんな時と同じ感覚かしら・・・などと想像しながら読みました。
興味深い展示ですね。

その数多くの“骨”はみんな、まぎれもない『生きた証』なんですね。

その中で、死んだ後の事を考えられるのは人間だけ。。。
なんて事も思いました^0^;
2010.02.22 11:13 | URL | #- [edit]
そらまめ says... ""
本当に…死んだ後のことを憂うことが出来るのは人間だけなんですね…。そこが人間の素晴らしいところであり、かつ、足を引っ張るところでもある!?
私の好きな澤木興道老師に言わせれば、「そんな先のことを考えんでまず今を生きろ!」と一括されそうですが(^^; ヒトとして一括りにした自分を遠くから眺めて見ると、そんな所も愛おしいような…(^_^)

時に憂いのない動物のように、時に憂いだらけのヒトのように…っていうのも“オツ”でしょうか?
あくまでも、自らで選択する立場でいたいものですが…。

あ、ヒトは骨以外の『生きた証』を遺したくてstruggleするのかもしれませんね…。それも可愛い…。
2010.02.22 13:51 | URL | #- [edit]

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